イスラームと反ユダヤ主義
イスラームと反ユダヤ主義の関係は、現在学会で論争となっているテーマの一つである。
一般に前近代のイスラーム世界ではキリスト教世界に比べてユダヤ人の地位は良好だったという意見が学会の主流である。これをやや理想化したものとして、「ユダヤ人はキリスト教世界に於いてはしばしば支配者によるスケープゴートとして虐殺や追放などの迫害を受けてきたが、イスラーム世界では寛容の精神の元平和に暮らすことが出来た。」という意見が主張されることも多い。
前近代の多くのムスリム支配の時代・地域に於いてユダヤ人は決してムスリムと平等な地位を与えられたことは無かった。前近代のイスラームに於いて絶対的に近い権威を持ったシャリーアに於いては、ユダヤ人は厳しく権利を制限された隷属民であるズィンミーとして処遇されると明確に記されている。またコーランの章句やハーディスにも、ムハンマドとユダヤ人との戦いの影響でユダヤ人に対する敵意をほのめかす記述が散見されている。
ここからイスラーム世界に於ける反ユダヤ主義の実情について、親イスラーム的学者や反イスラーム主義的学者、ユダヤ人、非ユダヤ人、ムスリム、非ムスリムなど様々な立場からの意見が提出され、現在でも論争が継続している。
歴史的迫害
ムワッヒド朝のマグレブ・アンダルスに於けるユダヤ人迫害
12世紀後半のマグレブに起こったムワッヒド朝は、熱烈なイスラーム信仰からキリスト教徒、ユダヤ教徒への迫害を行った。アンダルスやマグレブでは両教徒に対する強制改宗(剣かコーランか)が発生し、アンダルスのユダヤ人は北部のキリスト教徒支配地域やエジプトなどに逃れるか、イスラームへの偽装棄教を余儀無くされた。マイモニデスもその一人で、虐殺を逃れるためイスラームに偽装改宗し、後にエジプトでムスリムの実力者とのコネを用いてユダヤ教への復帰をイスラーム法廷で認めさせた。しかしこのようなことは極めて難しく、殆どの場合棄教と見做され死刑宣告を受けた。
オスマン帝国におけるユダヤ人
オスマン帝国は当初ユダヤ人に対し寛容な政策を取っており、スペイン異端審問から逃れてきたユダヤ人が多く移り住んだ。しかし帝国のアイデンティティーがイスラームに収束するにつれユダヤ人の地位も低下、更に数的に同じズィンミーであるキリスト教徒に及ばないユダヤ人は事実上の三等市民としての生活を余儀無くされた。但し同時代のヨーロッパに比べればまだ良好な処遇を受けた。